法事をする意味。家から個人へ、弔い上げという慣習。

日本人が大切にしてきた慣習として「法事」があります。四十九日から始まり、多くは三十三回忌まで勤められてきました。

今、私が生きているのは先祖があってこそであり、その先祖に感謝の意を伝える場所が法事という時間であると思います。

当たり前に勤められてきたものですが、時代の変化により簡素化が顕著になってきています。一周忌で終わり、または三回忌で終わりということが珍しくありません。

これまでは、三回忌の後も七回忌十三回忌と続いてきたわけですが、その意味が失われてきているのでしょう。この記事では、そもそも法事がなぜ勤められてきたのか。そして今、供養がどのような形に変わってきているのかを考えてみます。

法事の背景にある弔い上げ

法事は四十九日から始まり、多くは三十三回忌をもって弔い上げと呼ばれることは御存じでしょうか。

故人が亡くなってから、初七日から始まり三十三回忌まで十三回の供養を勤める。故人の魂は三十三回忌の弔い上げをもって家を守る先祖になるという考えです。

故人の生前の行いが、この十三回の審判で裁かれるというお伝えですね。私たち遺族は追善供養をして、故人の善を足していくわけです。

供養の日それぞれに担当の仏様がおられ、の姿で現れます。十三仏信仰と言われます。
法要 十三王 仏様
初七日(しょなのか) 秦広王(しんこうおう) 不動明王(ふどうみょうおう)
二七日(ふたなのか) 初江王(しょこうおう) 釈迦如来(しゃかにょらい)
三七日(みなのか) 宋帝王(そうていおう) 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
四七日(よなのか) 五官王(ごかんおう) 普賢菩薩(ふげんぼさつ)
五七日(いつなのか) 閻魔王(えんまおう) 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
六七日(むなのか) 変成王(へんじょうおう) 弥勒菩薩(みろくぼさつ)
七七日(なななのか・四十九日 泰山王(たいざんおう) 薬師如来(やくしにょらい)
百ヶ日(ひゃっかにち) 平等王(びょうどうおう) 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
一周忌(いっしゅうき) 都市王(としおう) 勢至菩薩(せいしぼさつ)
三回忌(さんかいき) 五道転輪王(ごどうてんりんおう) 阿弥陀如来(あみだにょらい)
七回忌(ななかいき) 蓮華王(れんげおう) 阿閃如来(あしゅくにょらい)
十三回忌(じゅうさんかいき) 慈恩王(じおんおう) 大日如来(だいにちにょらい)
三十三回忌(さんじゅうさかいき) 祇園王(ぎおんおう) 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
五七日には、あの優しそうな地蔵菩薩が、閻魔大王の姿で現れるとは驚きですね。

三や七という数字に法事がある理由

他にも十七回忌二十三回忌二十五回忌二十七回忌などがあります。

仏教では仏様仏様の教え仏様の教えを実践する人の集まり仏・法・僧の三宝として大切にされます。ですから、という数字が大切にされ、区切りの数字とされています。

また、お釈迦様が産まれてすぐに七歩歩いたという逸話があります。それは六道輪廻という、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天人の六つの世界を超えて悟りの世界に生まれるということを意味しています。

これだけが理由ではないかもしれませんが、三や七を区切りとして法事をするのは仏教に縁のある数字だからということでしょう。

二十五回忌は区切りの良い数字だからだと思います。

先祖への感謝の気持ちを私たちは持っています。その気持ちが昔から残されている十三仏信仰という慣習に当てはめられ、法事という形に表しているということです。

三十三回忌の弔い上げまで勤めることが難しい。

しかし今、この法事を三十三回忌まで勤めるということが難しくなっています。

その理由は生活面金銭面精神面の様々な角度から考えられます。

生活面

生活面では親族遠方にいることが増え、コロナ禍が拍車をかけました。今では遠方にいる場合はコロナの不安高齢化による体調面により、兄弟であっても葬儀に参列できないことも多くあります。そんな中、お互いに無理をして法事に駆け付ける機会が急激に減ってるように思います。

お若い方も忙しく、法事を勤めることの優先順位は下がっているのかもしれません。

金銭面

また金銭面も大きいでしょう。法事を開催すると赤字になる場合がほとんどです。御仏前を頂きますが賄いきれません。料理代引き出物僧侶へのお布施など出費がかさみます。

私が妻の近い親戚の法事に出席したときは、引き出物の中に、お供えしたお仏前がお粗末料と名前を変えてそのまま入っていました。

先祖供養を否定せずとも、法事をすればお金がかかってきます。供養にお金をかけるかどうかということです。

精神面

そして精神面。以前は家の繁栄が非常に重視され、そのため亡くなった方の魂を家を守る先祖へと供養することは喪主の勤めだったのではないでしょうか。法事では親族を呼び、食事を用意し、僧侶を呼ぶ。しっかりとした形で勤めなければいけないという思いがあったと思われます。

今も変わらず先祖供養は大切ですが、多くの子孫たちは家を出て、自分の家庭をもつようになりました。そのことで、先祖代々という意識が少しづつ薄れ、私たちが供養する対象が、家を守ってきた御先祖達というよりも、私が直接お世話になった大切な人へと変わってきました。

その近しい故人に手を合わすことを中心にした供養であれば、必ずしも弔い上げという形式にとらわれることはないという流れになっているのではないでしょうか。

供養の形が変わってきて、慣習を守らなければいけないという意識が薄くなってきていることが感じとれます。

今私があるのは先祖がおられたからということには変わりありません。

弔い上げの法事にとらわれない。

はじめに述べたように、三十三回忌まで勤められていたのは、弔い上げの慣習があり、その形式に従っていたからです。その弔い上げを大切にするならば、これまで通りの法事をしていただければ良いと思います。

法事を勤めて「肩の荷が下りた」「勤めることが出来て良かった」と言われる方は多いです。

「長い時間をかけて培ってきた先祖感を、簡単に手放すことが出来ない」

特にこれまで法事を続けてこられた年配の方は、こう思われる方も多いのではないでしょうか。

法事という形で勤めたいと思っているのであれば、勤めるべきだと思います。

亡くなってすぐの方をあまり先祖とは呼びません。時間が経ち先祖になるという考え方は私たちの中に根付いています。

法事をしていないことにひっかかるものがある、又は大切な人を亡くし悲しい気持ちを抱えている、そういう方は相談できる方を見つけて法事をしていただきたいです。

亡き人を供養していくことで、そのひっかかりが取れたり、悲しみが少しづつ癒えていった方は多くおられるでしょう。だから続いてきたのだと思うのです。科学が発展してきた中で、弔い上げという慣習を信じているからという理由だけで続いてきたわけではないでしょう。

しかし、必ずしも慣習や形式にとらわれる必要はありません。法事をしなかったらバチがあたることもありません。その通りにすることに意識が向きすぎて、先祖、亡き人への感謝の気持ちの失われた法事であってはいけません。

以前見かけたニュースですが、20代の男性が事故で亡くなられました。その友人たちは、年に一度集まって故人を忍んでいます。集まって食事をするだけですが、生きていることに感謝し、故人の分まで生きようと励まし合う。法事と呼ばないだけで、大切な供養の場だと思います。

また、ある60代の男性には3人の子がいますが、皆県外に住まいをもっています。毎月この男性は父親(子供達から見れば祖父)の命日に子どもたちにメールを送ります。「今日私達があるのはじいちゃんのおかげ。こちらに向かって皆で手を合わせるように。」というものです。子ども達からは「家族で手を合わせました」と返事が来るそうです。

供養の形に正解はありません。一緒に居なくても、僧侶のお経がなくても、故人と遺族との、「約束」「報告」「相続」などの繋がりの場であることが大切です。戦没者追弔法要も多くの市町村でありますし、多くの福祉施設で亡くなった方の追弔法要も勤められています。亡くなった方をそのままに前に進んでいけないのが私たちかもしれません。

これまでは形式通りの法事がその役割を担っていました。しかしこれからは、その形式のままとはいかないでしょう。

時代と共に、食事会やインターネットを通したラフなものに変わっていく可能性も十分にあります。

自分の中の気持ちを整理し前に進んでいく。

そのために法事はあるのだと思います。

ABOUT ME
まんじ
石川県の終活アドバイザー。葬送儀礼について発信しています。